国鉄時代に撮影した思い出の写真。今回は旧型客車、時代は昭和57年〜59年頃です。
「山陰本線・米子付近」
山陰本線は旧型客車が末期まで運行されていた偉大なるローカル線です。
昭和58年頃の撮影です。架線が写ってますね。この頃はすでに伯備線の岡山から出雲市まで電化されていて、特急やくもは381系振り子電車になっていました。
旧型客車・車内の模様
暖房は椅子の下に通っているスチームでほのかに暖まれます。冷房はついてません。暑い時期は窓を大きく空けて自然の風で涼みます。走行中は結構涼しかったですよ。
旧型客車列車・長距離鈍行
旧型客車列車は長距離を走る鈍行(普通)列車として、昭和時代は全国で運転されていました。歴代の最長距離を走る普通列車をWikipediaから引用します。
1956年11月ダイヤ改正時
東京-門司 東海道本線・山陽本線、111・112列車 1102.8km
1968年10月ダイヤ改正時
上野-青森 東北本線・奥羽本線、421・422列車 756.8km
1972年10月ダイヤ改正時
門司-福知山 山陰本線、824列車 595.1km
824列車はその後、1984年のダイヤ改正まで、約12年にわたり最長距離を走る鈍行列車としてNo1の地位を維持していました。
824列車のダイヤ
門司520発→福知山着2351
門司520下関528着〜542発長門市751着〜805発東萩848発益田1008着〜1025発浜田1121着〜1135発江津1204着〜1207発太田市1306着〜1314発出雲市1400着〜1410発松江1518着〜1523発米子1600着〜1611発倉吉1751着〜1754発鳥取1905着〜1925発浜坂2020着〜2044発豊岡2210着〜2229発和田山2305着〜2307発福知山2351着
所要時間は18時間31分です。大きな駅に到着するたびに長い事停車するのは、特急や急行の追い抜き、単線なのですれ違いなどのためです。
当時、鉄ちゃん(鉄道ファン)の間では、この824列車の全区間を乗り通すことが、一部の間の人々で流行っていました。
全区間乗る場合は食事も大変です。車内販売なんて気の利いた物はありませんから、駅に停車したときに駅ソバなどを食べたり、駅弁を仕入れたり。
私は、824列車の時代の鉄ちゃんです。旧型客車列車は、東北本線なら黒磯以降、北海道、日本海方面、紀勢本線、山陰本線、四国、九州地方など活躍していました。
私の場合、824列車は出雲市から米子など一部の区間しか乗った事はありません。旧型客車列車で一番長い距離を乗ったのは、仙台1318発→青森2237着の1533列車や、夜行の山陰号・からまつ号・はやたま号などでした。
旧型客車列車の鈍行夜行列車もあちこちで運転されていました。車両の一部には旧型客車10系寝台車も連結されていましたっけ。貧乏な学生には寝台車の寝台券(当時約五千円くらい)に手が出ないので、もっぱら座席利用でしたが一度だけ『山陰号』の寝台に乗った事があります。
旅を実感出来るロマン時代
今は飛行機や新幹線の時代ですからね〜あっという間に目的地に到着します。
旧型客車長距離鈍行列車にのんびり揺られながら、レッドのポケット瓶をチビチビ呑みながら、ぼんやり外を眺めたり、駅弁食べたり、居眠りしたりと、今では味わえない旅の風情がありました。
学生時代の旅はお金がないので、鈍行列車をよく利用していましたけど、今となっては、とても贅沢な経験だったんだなぁと、しみじみして振り返ってしまいますね。
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今となれば古き良い時代ですなー
俺もボックスシートで列車の揺れを楽しみながらうたた寝するのが一番の癒しです。824列車乗りたかったな〜
ですね〜
のんびりと列車に揺られて、ボーッとしたり、いろんな人との出会いがあったりと、鈍行列車ならではの風情、旅情がいいですね。
通学で松江まで3年間汽車通してました。朝夕の混雑時は車両が増やせる旧客でしたね。824レは土曜の半ドンの時に当時それとは気付かず乗ってたんじゃないかな。福知山行きのサボ何度も見たような記憶が。高校3年の夏休み鈴鹿8耐を見に行くのに山陰号普通座席でゴロ寝して行きましたね。座席車は夜中でも減光しないから明るいし荷物の盗難も心配で熟睡出来なかったけど夜中に爆走する旧客は銀河鉄道999に乗ってるみたいで楽しかったなぁ。車両は貸し切り状態だし田舎だから町の灯りもなく深夜の暗闇の無人駅にひっそりと停車、そして音もなくまた静かに動き出す…時間が止まっていましたね、自分の記憶とともにいつまでも忘れられない想い出が蘇ります。
何でもなかったような日常に、ふと思い立って振り返ると、とても懐かしい思い出が蘇る時がありますね。
わたしの場合、山陰号は夏休みとかピークシーズンに乗車する機会が多かったので、いつも混雑しているイメージが強いのですが、銀河鉄道999状態な時期・季節もあったんですね〜
「メーテルと哲郎だけっ!」なんだか良き体験をされたようで、ちょっと羨ましい気がします。
大人になって振り返ると、鈍行列車にのんびり揺られて、サントリーのホワイトポケット瓶でも窓枠に乗せて、あちこち旅した若い頃の汽車旅を、贅沢な体験だったんだなとしみじみ思います。