周遊券の旅・昭和58年夏の北海道【根室標津〜厚床〜網走】その3の続きです

寝坊して、網走駅でバックが散乱、その後は、

なんとか乗車出来ました。

もうね、発車時刻は少し過ぎてしまいましたけど、湧網線のディーゼルカーは、待ってくれました。

その後、こわれたバックはファスナーが閉まらないので、紐で巻いて、しのぎました。


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湧網線〜渚滑線〜美幸線

網走発835(924D)中湧別着1105

  • 湧網線は、1987年3月20日で廃止

中湧別発1129(628D)渚滑着1222

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サロマ湖からオホーツク海に沿って走ります。ゆったりとした時間の中、のんびりと海が見える車窓は、素晴らしいの一言です。

今、そんな旅が出来たら!ウイスキーのポケット瓶でチビチビやりながら、帆立貝でも食べたいですね〜

当時、高校生だった私は公式には未成年なので、車窓を見ながらお酒なんか飲みませんでした。

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渚滑からは、渚滑線(しょこつせん)に乗りました。

渚滑発1336(725D)北見滝ノ上着1432

  • 渚滑線 ‥ 1985年4月1日廃止

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終点の北見滝ノ上駅です。

駅の構内がだだっ広く見えるのは、元々あった貨物線が撤去されているからです。昔は木材の出荷で賑わいをみせたとか。

そういえば、転車台の写真が残ってます。たぶん、ここ、北見滝ノ上駅で撮ったはず。

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現在も、駅舎が保存されてます。

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北見滝ノ上発1503(728D)渚滑着1550

名寄本線に乗って、名寄、美幸線を目指しました。

渚滑発1660(630D)名寄着1824

  • 名寄本線 ‥ 1989年5月1日廃止

と、この日乗車した線は、ほとんど廃線されたので、もう乗れません。

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美幸線

名寄発1828(347D)美深着1859

いよいよ美幸線です。日本一の赤字ローカル線として有名になった線です。

当時の町長が東京の銀座まで出向いて、キップを売ったのは有名な話ですね。

  • 美幸線 ‥ 1985年9月17日廃止

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美幸線は全線21.2kmの短いローカル線です。1日に走る列車は、当時たったの4往復でした。接続良く、最終列車に乗れました。

美深発1914(927D)仁宇布(にうぷ)着1944

夏場ですからね、まだ車窓の見える時間帯です。

車掌さんと仲良くなった

当時、一部の鉄道マニアの間では、乗車した列車の車掌さんにサインを貰う事が流行ってました。

私たちも、出来るだけサインを貰うようにしてました。美幸線はディーゼルカー1両だけの運行ですし、お客さんもほとんど乗ってませんでしたから、サインしてもらった後、車掌さんと色々な話をしました。

「なんで車掌さんになったんですか?」と聞いたところ、「他に入れるところが無かった」と言われました。私も若かったので、失礼なことに、「そういう人が多いそうですね〜」と返したら、「そんな事、みんなに聞いてるのか!」なんて言われたり。「この後は0時近くまで仕事だ」とかの話が聞けました。

当時の私たちは将来国鉄に入って専務車掌を目指そうと思ってましたけど、高校卒業時は、人員削減のため、新規採用中止が続いていた年代ですから、行くとこなくて国鉄に入った話は、逆に羨ましく感じたもんです。

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仁宇布発1950(928D)美深着2016

(ここからは作り話です)

内緒話ですが

車内放送やドアの開閉をさせてもらえた。

古き良き時代でしたね〜

運転台に入れてもらえて、「つぎは辺渓(ぺんけ)です」とか、ドアの開閉スイッチを押したりさせてもらえました。

運転台の窓を手動で下げる方法など、手つきを誤ると、一気に窓枠が落ちるので、気をつけないと、「たまに指を落とす事故がある」などといった丁寧な説明を、今でも鮮明に覚えています。

(作り話、ここまで)

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夜行列車で寝て、深名線

業界用語でスイッチバックだったかな?

本当は稚内まで行きたかったんですけど、どうしても二日後までに帰らないといけなかったので、断念して、翌朝、深名線に乗る事に。

もちろん、宿は夜汽車の座席です。

夜21時、今は名寄駅でして、深名線に乗るなら、翌朝の8時までに、名寄まで戻って来る必要があります。

そんな時は、途中まで夜行列車に乗って、終点まで行ったら、帰ってこれないので、途中下車して、上下の夜行列車を乗り継ぎます。乗り放題の周遊券だから出来る荒技です。

変な時間帯に乗り継ぐので、寝不足必至!

この時は、急行礼文と急行利尻を乗り継いで、旭川まで行って名寄に戻って来ました。

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深名線

名寄発829(942D)朱鞠内着945

朱鞠内発945(926D)深川着1147

  • 深名線 ‥ 1995年9月4日廃止

深名線も大赤字のローカル線でしたが、代替になる道路がなかなか整備されなかったので、廃止日は遅かったです。それだけ、険しい秘境地帯を走ってた路線だったんですね〜

寝不足で、沿線の思い出はアヤフヤ〜

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青函連絡船〜583系はくつる

この後は、帰るため、青森発2359のはくつる4号に乗るために、一路青森を目指します。

深川発1202(L特急ライラック8号)札幌着1324

札幌発1355(特急北海2号)函館着1858

食堂車でハンバーグ定食食べました

函館発1940(青函連絡船24便)青森着2330

青函連絡船は、帰りも行きと同じ「摩周丸」でした。

帰る時は、蛍の光の放送と、出港時のドラの音を聞いて、寂しくなりましたね〜

友達と、「又、来よう!」と約束したものの、未だに果たせてません。

旅の終わりは寝台特急

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最後は、583系寝台特急はくつる4号に決めてました。電車寝台に乗車するのは初体験だったので、かなり前から楽しみにしてました。

583系のB寝台って、三段式で、中段と上段はとてもベット幅が狭くて、下段だけ幅が広い車両です。下段は4人ボックス席のサイズまるまる使ってるので、夜汽車の座席で連続・連泊した後ですから、それはそれは快適でした。

まっすぐ横になって、フカフカのベットで寝れる幸せを満喫

寝たと思ったら、あっというまに上野駅でした。

疲れてたんでしょうね〜上野駅に着いてから目が覚めました。

その後、13番ホーム横の美味しいうどん屋さんで、天ぷらウドン食べて帰宅しました。

乗った廃止路線

  • 胆振線
  • 岩内線
  • 白糠線
  • 標津線
  • 湧網線
  • 名寄本線
  • 渚滑線
  • 美幸線
  • 深名線
  • 青函連絡船

現在のJR北海道の路線図と、当時の国鉄路線図を見比べると、路線数があまりにも減ってしまったことに、愕然ともしますし、寂しさも感じます。

北海道の路線は、今後さらに廃止線も増えそうですね。

昭和の時代のうちに、北海道を旅することが出来て良かったです。

思い出話・国鉄時代、北海道編はこれにて、おしまい。

(別の旅につづく)

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