周遊券の旅・昭和58年夏の北海道【出発〜青函連絡船】その1からの続きです。
真夜中の青森駅。
最終の青函連絡船が満員で乗船出来ませんでした。積み残しされた二人は、その後どうなったのでしょう。
貧乏高校生ですから、お金もあまり持ってません。ホテルに泊まるなんてことは最初から検討外です。
まあ、このまま青森連絡船待合室で、朝まで過ごすか・・・と考えてたら、
「臨時・連絡船を準備中です!」とのアナウンスが!
結局、深夜250発の臨時便(摩周丸)が運行されることになり、なんとか北海道へ渡る事が出来ました。
役に立たないコラム
当時の青函連絡船には、寝台・グリーン席(指定席・自由席)がありました。
満員で乗れそうもないときは、自由席グリーン席のキップを購入するとよいでしょう(1人1,000円ほど)
席には座れませんが、乗船は出来ます。
後から気がつきました。乗れなかった便では、自由席グリーンの乗車位置に大行列が出来てました。
さて、北海道、初上陸です!
特急北斗3号
北斗3号は、函館発740 → 1159札幌行きです。
キハ82だったのかな。6両編成。
札幌方向に先頭1号車・2号車は自由席、3号車は指定席、4号車は食堂車、5号車はグリーン車、6号車は指定席です。たった6両しかないのに食堂車が連結されてるのが、今考えると凄いですね〜
今夜の宿は、札幌発2210の夜行急行まりも3号釧路行き(座席・自由席)です。
予定してた青函連絡船に乗れなかったので、今日の計画はアドリブです。
東室蘭で降りて、写真を撮りつつ、胆振線(いぶりせん)に乗る事にしました。
東室蘭着1019、1036発の586Dで室蘭へ。
北海道・初上陸の感想
暑いw
もっと涼しいイメージがありました。以外に本土とあまり変わらない暑さでして、オシャレしてこの日のために買った、白い上着は二日目にて汗で黄色くなっちゃいました。
戻ってきて、ウロウロしてから、東室蘭発1303 → 1332着伊達紋別の224列車。
(224列車)
ところで、食事はどうしてたんでしょうね〜
旅行中食べたもの
- 駅ソバ・ウドン
- 駅弁
- 駅の食堂
- 奮発して特急の食堂車
一番食べたのが、駅ソバです。1杯180円前後くらい。
駅弁もよく食べました。当時の時刻表を見ると、
- 函館駅‥大沼牛焼肉弁当600円、かにずし弁当600円、えぞちらし弁当600円
- 森駅‥いかめし350円
- 長万部駅‥かにめし600円、鮭飯弁当600円
とありますから、今の半値以下の値段でした。
胆振線・岩内線
- 胆振線‥室蘭本線の伊達紋別から、函館本線の倶知安まで 1986年11月1日廃止
- 岩内線‥函館本線の小沢から、岩内まで 1985年7月1日廃止
伊達紋別発1352→1638倶知安着の829Dに乗車しました。出てすぐに大きな昭和新山の横を通ります。
胆振線は全長83.0kmあるローカル線です。途中、新大滝で15分間停車したので入場券を買いました。
当時の乗り鉄の間では、下車印集めと入場券集めが流行ってた記憶があります。
今回の旅も、乗った経路などの記録は紛失してますが、購入した入場券が残ってたので、復刻版時刻表(1982年11月号)を見ながら、なんとかルートを思い出せてます。
倶知安からは1641発急行らいでん5号で1駅となりの小沢へ。
小沢1729→1752終点岩内、すぐに折り返し、岩内1757→1821小沢と、岩内線に乗りました。
小沢からは3分の接続で、函館発の急行ニセコに乗り、2007札幌に着きました。
急行まりも3号〜白糠線
札幌では何してた?
今なら、ススキノまで出ないにせよ、近場の居酒屋で一杯やるところですね。
でも、高校二年生でしたし、国鉄に乗る事と、汽車の写真を撮る事は興味あっても、名所や観光には関心がなかったので、観光をした記憶が全然ありません。
この時も、駅の構内をウロウロして、札幌駅から外には出なかったと思います。
急行まりも3号の編成は、
- A寝台・3段式B寝台・指定席と、自由席は2両連結されてました
当時、北海道を旅する学生は、ほとんどが北海道ワイド周遊券を持ってます。貧乏学生には追加料金不要な、夜行列車での車中泊が人気でしたから、2両しかない自由席の争奪戦は激しかったです。
無事、座れて、札幌発2210、疲れてたのでしょうか、ぐっすり寝て、白糠着541。あやうく寝過ごすところでした。
スマホの無い時代で、目覚まし時計も持ってないし
白糠線
特定地方交通線・廃止第一号
昭和55年に成立した国鉄再建法に基づき、儲からない赤字ローカル線は、第一次特定地方交通線と、第二次特定地方交通線に選定され、順次、廃線されてしまいました。
白糠線は、その廃線第一号として、1983年(昭和58年)10月23日に廃止されたローカル線です。
(白糠線の終点・北進駅)
約二ヶ月後に廃止されるということで、それ系、鉄系の方の乗車率が高かったです。
全長は33.1km、1日わずか3往復のディーゼルカーのみ走ってました。
白糠633→717北進727→810白糠で往復、次の列車は1403までありません。
すぐに折り返したのですが、終点の北進駅は無人駅でホーム1面、廻りにはお店どころか人家も見当たらない、何にもない場所でした。
昔は石炭輸送で多少栄えたそうですが、当時の面影を偲ぶことも出来ず。
北海道では白糠線を筆頭に、今回の旅で乗ったローカル線は、ほとんどが廃線となってしまっています。昔の時刻表の路線図と現状を見比べると、物悲しい気分になりますね。
白糠に戻った次は、
北方領土の見える街、根室標津を目指します。
(つづく)
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