周遊券の旅・昭和58年夏の北海道【北斗3号〜胆振線〜まりも3号〜白糠線】その2の続きです。
白糠線を往復した後は、根室標津を目指しました。
根室標津と北方領土
白糠817発の221Dにて、903釧路着。ここから釧網本線に乗り換えます。
3分で、釧路発906の急行しれとこ2号に接続。この急行は標茶で分割され、一部が標津線に入り、根室標津まで行きます。1147に根室標津着。
- 標津線(しべつせん)‥標茶と根室標津、中標津と厚床を結んでいたT字型の路線。1989年4月30日に全線が廃止。
終点・根室標津駅から海までは歩いて数分くらいの距離でした。目の前に見える大きな島が国後島です。
地図で見るのと、実際に訪れるのでは大違い、北方領土って、こんなに近い場所にあるんだなぁ〜と実感しました。泳いでも渡れそうな距離感でしたね。
この後は、今夜の宿泊地、網走に向かいます。
しかし、汽車の時間が繋がらず!
旅の記録を紛失したので、当時の時刻表を見ながら書いてます。
真っ直ぐ、網走に向かったんだろうと、思っていたら、こんな入場券が!
厚床は、『あっとこ』と読む、可愛らしい名前の駅です。鉄道作家・宮脇俊三氏のお気に入り駅名でした。根室のちょっと手前にあります。
網走に向かうのに、反対方向の厚床を経由したようですね〜えらい遠回りです。
なぜなら、それが鉄オタだからww
いい旅チャレンジ2万キロ
自分で書いてて、懐かしい〜
いい旅チャレンジ2万キロは、1980年から約10年続いた、国鉄路線をたくさん踏破して、国鉄全線の完全乗車を目指す、キャンペーンでした。
当時の国鉄路線って、日本全国で約2万キロ弱あったんです。JRになった今は、何キロくらいあるんでしょうか。
キャンペーンへの参加方法は、会員になってから、各路線の始発駅と終着駅の駅名標を背景にした自分自身の写真を事務局に送れば、「その路線に乗った」と、認定してもらえる仕組みでした。
わたしも友達も、もちろん、全線踏破を目指してました。まあ、実際には、写真を撮り忘れたり、面倒くさくなったりして、途中で止めちゃったんですけどね。
そんな、理由もあり、今回の北海道の旅でも、なるべく、多くの路線、特に盲腸線と呼ばれた、終着駅のある赤字ローカル線になるべく乗ろうと考えてました。
しかし、時刻が繋がらんw
普通に往復したら、待ち合わせ時間が多くて、釧網本線の最終列車に接続しません。
時刻表も復刻版のしかもKindle版なので、接続ダイヤを調べるのも、結構手間です。
あ〜だ、こ〜だと調べたら、ようやく判りました。
正解は、
根室標津・発1232-(330D)-1302着・中標津
中標津・発1328-(354D)-1434着・厚床
厚床・発1514-(268D)-1709着・釧路
釧路・発1720-(急行しれとこ6号)-2036着・網走
というふうに、ぐるっとU時型に大回りして汽車に乗ってました。
網走で久しぶりにベットで就寝
どこのホテルに泊まったかは、もう忘れてしまいました。駅近くの一番安いビジネスホテルでしょう。一泊4,500円くらいでした。
到着したのは、午後八時半過ぎですし、翌朝は、湧網線(ゆうもうせん)の555発・一番列車に乗る予定でしたから、観光も何もする時間はありませんでした。
駅の食堂でカツ丼食べて、そのままホテルに向かい、小さなバスタブを使って、シャワーと洗濯したら、バタンキュ〜と寝てしまいました。
未成年なので、ビールとか飲んでません。
翌朝、寝坊!
高校二年生でした。それまで一泊、二泊程度の鉄道旅行はしてても、これだけ夜行列車の座席で連続で寝泊まりするのは初めてでしたから、とても疲れてしまったようです。友達と二人とも起きられませんでした。
555発の始発列車に乗る予定が、起きたら820過ぎ、835発の列車まで、後10分ちょい。これを逃したら、次の列車は1449までありません。
走る、走る、駅まで全力疾走です。
写真器材を入れたカメラバック(アルミ製の銀箱)とボストンバッグを二つ抱えて、改札まで来たら、もう発車ベルが鳴ってました。
さらに、ダッシュ!
改札抜けて右に曲がったら、駅員さんが、
『湧網線は左!!0番線から発車っ!』
と、叫んだので、180度急回転して、方向転換したら、
ボストンバッグの手提げ部分が切れてしまい、落下!中身が散乱!
これが、わたしの、『頭の中が真っ白になる』という、生まれて初めての体験でした。
(つづく)
続き・周遊券の旅・昭和58年夏の北海道【渚滑線〜美幸線〜深名線】その4
スポンサーリンク